思想と義務と権利

朝鮮学校への補助金や高校無償化対象とするか、と言った話に核兵器実験の問題や拉致問題が絡んできましたね。

国家間の問題が絡んでいますので、これが正義と言うものは出せないのかもしれません。

ですが、税金を払っている身としては、有効な事に使って欲しいわけで、正直朝鮮学校を普通の高校と同列に扱えるのか?
そこは非常に気になる所です。

まず、一つの要件は、大学入学の前提となるか。
そして、日本の事情を予断なく伝えられるかだと思います。

現時点では、一つ目の要件は一応満たしているみたいです。
大学受験資格は与えられると。
ま、試験を受けて受かるならば、学力としては問題ないんでしょうね。
ただ高校卒業とは扱われないようです。
微妙ですね。

二つ目の要件が問題で、北朝鮮の思想教育をしていると言わざるを得ない状況ではないかと。
少なくとも指導者を国が選んでいる時点で、言いようがないと思います。

そして、子供に罪はないと言いますが、日本の学校にはいる限りは恩恵を受けられるわけで、自ら選んで入っている以上、ある一定の制限は仕方ないのではないかと思います。

一番大きいのは、思想教育が問題なければ良いのでしょうが、核開発はこれ以上広げないようにしようという中、力を持たなければいけない。
現指導者は偉大である。
そういう教育の中で、日本を理解し、協力して行く事が可能でしょうか?

義務と権利は権利を与える側の意向をある一定汲まなければいけない。
実際には、このバランスを取るために、選挙だったり、憲法だったりがあるわけで、決める人が偉いわけでは無いのですが。

そんなわけで、無理を通せば道理が通らないという状態において、国の中の道理を整理するのがまず優先されるのはどの国でも一緒なんでしょうね。

難しい問題です。

言葉や文化が沢山あるのは良いことですが、意思疎通の方法に共通的な何かないもんですかね。

いじょ

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